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X JAPAN、YOSHIKIが語る、ロックな挑戦。

今年5月16日に、頸椎椎間板を人工椎間板に置き換える手術を受けたYOSHIKIをニューヨークの撮影スタジオでキャッチしたのは、手術から1カ月も経っていないときだった。今号の表紙の撮影をするためにロサンゼルスからニューヨークまで来てくれたのだ。スタジオ入りしたときには首にサポーターをつけて、歩くのも大変そうだったが、ヴォーグの撮影チームとのコミュニケーションに盛り上がり、撮影は夜半まで続いた。高揚した表情で撮影を終えたあと、インタビューに応じてくれたときには22時を回っていた。疲れを気遣うと、「まったく大丈夫ですよ、やりましょう」と、近況や今の気持ちを語ってくれた。

「ロックをやるために、文字通り身を粉にして演奏してきたんだなあってつくづく思いました」

ニット ¥120,000/SAINT LAURENT BYANTHONY VACCARELLO お問い合わせ先/イヴ・サンローラン 0570-016655 Photo: Luigi & Iango

ーーまずは近況を教えてください。

YOSHIKI(以下Y) 今日の撮影が首の頸椎椎間板の手術後の初仕事です。でも、アメリカでは「安静」という言葉はあまり使わない。こうやって動き回ったほうが逆にいいという考え方なんです。手術をしたあとも、すぐに歩かされる。先生方は「1時間に10分は立って歩きなさい」と言うんですね。そのほうが治りも早い。数年前にも、首の後ろ側を切って、首の骨と骨の間に隙間を開ける手術をしたんですが、今回は人工の椎間板を入れました。大手術でした。

ーーそういう大きい手術を経験して、考え方が変わったりするようなこともありましたか?

Y そうですね、手術をする前に遺言を書かされるんですよ。一応、何かあった場合に備えて。遺言を書くと、そのたびに人生を振り返りますよね。僕の人生、何だったんだろう? ってね。なんで2回も首の手術をしないといけなくなったんだろうって思うときもあります。もちろんその答えは簡単で、ドラムを叩き続けてきたせいなんですが。今回もいろいろ考えましたけど、でも結局のところ、悔いはないなと思いました。自分の選んだ道ですしね。さすがに手術を3回も4回もするのは抵抗がありますけれど。僕の頸椎には既に損傷している椎間板が3つあって、今回の手術ではそのひとつを人工のものに入れ替えたんです。でもまだ残りのふたつも、今後手術をしなければいけない可能性が残っている。今でもすでにダメージがひどいので、先生方には、今後ドラムを続けるかどうか考えたほうがいいと言われている。ただ医学はどんどん進歩していて、今回受けたのも10年前だったら考えられなかったような手術なんです。今までだったら頸椎椎間板の代わりに金属を入れて、首を固定することしかできなかったところを、今回は動く椎間板を入れていただいた。もしこれからもドラムを続けたとして、残りの頸椎椎間板が5年もつかわかりませんけど、もしまた何かあったとしても、その頃には新しいテクノロジーが登場して、ギリギリやっていけるんじゃないかって思ったりもします。自分はけっこうラッキーな人間だと思っているんで。

ーー仕事復帰一発目がファッション撮影になりましたけれど、いかがでしたか?

Y 今日は素材に徹するつもりでやってきたんです。あくまで自分は白いキャンバスで、撮影チームが好きにペイントしてくれればいいなと思っていました。でも少しこちらが意見を言ったら、聞いてくれるし、フィードバックされてくるので盛り上がりました。さすがヴォーグのチームだなと。これまで、撮影というものを何千回とやってきましたけれど、気合がすごいなと思いました。デヴィッド・ボウイなどをイメージした撮影でしたけれど、ボウイのことは大好きなので、この撮影を体験できて感激でした。実はご本人とも一度お会いしたことがあって、思い入れもあるんです。

ーーボウイと会ったときのことを聞かせてください。

Y もう20年以上前になりますけれど、僕がアメリカに行こうか迷っているときに対談させていただいたことがあるんです。その日のことはよく覚えています。「どこまでが自分のリアルな生活で、どこまでがステージの自分なのですか? 」と質問をしたら、「境界線はほとんどない」と答えが返ってきたのでびっくりしました。でもロックって、音ももちろんですけれど、内心から出てくる、アティテュード(態度)から生まれてくるものだと思うんです。ボウイのように、実際にその人がやるすべてのことを反映している。逆に言えば、作られたものは、作られたものでしかない。
ーーYOSHIKIさんの生き方もロックですね。

Y 今回、手術をしたときに、自分でも(ロックに対して)「ここまでやったのか」と思いました。「身を粉にする」という日本語がありますけど、自分はロックをやるために、文字通り身を粉にして演奏してきたんだなあってつくづく思いました。ある種の変な達成感というかね(笑)。
ーースタイル面でもロックには影響を受けてこられました。

Y 若い頃は特に大好きでしたね。バンドでいうと、キッス、デヴィット・ボウイはもちろんのこと、ジャパンというイギリスのバンドもありましたよね。パンクロックも好きだったので、セックス・ピストルズにも憧れました。若い頃はよくロックスターたちの真似もしました。14歳くらいから、髪の毛を赤や青に染めたりするようになって。でも校則の厳しい学校に通っていたので丸刈りにする羽目になったりして。よく覚えているのは、中学2年生のときに「将来の夢」を書かされたときのことです。同級生たちはみんな「弁護士」とか「会社員」とか答えた。でも、そのとき僕は「ロックスター」って書いたんです。そしたら職員室に呼び出されて「まともな答えをしなさい」って怒られました。「まともです」って答えた覚えがあります。高校のときも、同じように答えて。今年公開になった映画『WE ARE X』を作ったときに、自分の母校を訪ねるチャンスがあったんですけど、当時の知り合いが偉い先生になっていたりして、「まさか本当にロックスターになるとは」って言われました。

ーーご自分のスタイルの変遷を振り返ってどう思われますか?

Y 今振り返ると、「いろんな格好してきたなあ」って思いますね(笑)。特にバンドとしてデビューした頃は、ものすごい格好していましたから、偏見を持たれることもしょっちゅうでした。僕はロックにはルールがないものだと思っていたんですけど、中に飛び込んでみたら、実はルールだらけだったんですね。「ハードロックならこういう格好をしろ」とかね。僕はヘヴィーな音楽をやっていたので、「なんだ、そのメイクアップは」って驚いた反応をされたりもした。そういうことが起こるたびに「何がいけない?」って思いましたし、そんなルールは全部ぶっ壊したいと思ったんです。もちろん最初の頃は風当たりも強かったですけれど、徐々に認められるようになった。

ーーYOSHIKIさんは、ファッションもお好きですね。

Y 若い頃は、原宿にあるようなロックな店が大好きでしたね。奇抜なものとの出会いを求めていたんでしょうね。デザイナーではアレキサンダー・マックイーンには特に影響を受けていて、生きているときも大好きでしたけど、亡くなった今でも好きです。やっぱり破天荒なデザインが好きなんでしょうね。

ーー東京ファッション・ウィークにも参加していますね。
Y 一昨年はフィナーレを、去年はオープニングをやらせていただきました。去年のオープニングの雨が降るという演出は、完全に、マックイーンのショーからインスパイアされたものです。ファッションとロック、音楽とファッションは切っても切れない関係ですよね。ロックにおいて、視覚と聴覚って切り離せないと思うんです。それが両方重なって初めて力を持つ。ファッションだって、音楽がないファッションショーなんてないでしょう? コレクションのときに足音だけが聞こえていたらまったく違うものになってしまうと思うんです。

「自分は音楽を作る使命を持って生まれてきたんだという確信だけは、どこかでしているんです」

〈右〉ニット ¥120,000 グローブ¥820,000 パンツ ¥105,000 〈左〉ジャケット ¥415,000 メンズのパンツ ¥105,000(参考価格) 中にはいたスパングルのショートパンツ¥259,000/すべてSAINT LAURENT BYANTHONY VACCARELLO お問い合わせ先/イヴ・サンローラン 0570-016655 Photo: Luigi & Iango

―****―YOSHIKIさんにとって、ロックの精神はどういうことを意味しますか?

Y 僕は昔から破壊することが好きで、既成概念を壊したいという気持ちでロックをやっているんです。時代というものは今までもそうやって生まれてきたんだと思うんです。ファッションやロックはもちろんそうですけど、芸術や文化はすべてそう。創造のための破壊ってよく言いますけれど、何かを破壊してみなかったら創造なんて生まれない。そう思っていたから、いつも既成概念を飛び越したいという思いがありました。

**―****―**その精神はどうやって身についたと思いますか?

Y もともと4歳からクラシックピアノをやっていたんですが、10歳くらいのときに父親が自殺してしまったんです。父親を失ったことで、それまでのすべてが壊れてしまった。そのうち、自分はなんで生きているんだろう? ということを考えるようになって、どんどん内向的になっていったんですが、音楽をやっていたことで救われた。ただその頃、いろんな意味で怖いものがなくなったというか。一時期、自殺願望が強かったときもありました。常に死にたい、死にたいと思っていたんですが、そうやって生きていたら、今度は逆に、生きている瞬間瞬間が大事に思えてきた。常にひとつひとつの瞬間を大事に生きていれば、既成概念にこだわってもしょうがない。死と生のギリギリのところにいたことで、自分に与えられた人生を一秒間でも思い切り生きよう、そういう気持ちを感じられるようになった。何も怖くなくなったし、なんでも壊していこうと。もちろん法に触れるようなことはしていませんけれど、ギリギリの場所からしか芸術は生まれないんじゃないかと。そういう僕らのアティテュードに対して、風当たりが強いときもありましたね。特に洋楽の世界からの。ロックは西洋で生まれたもので、日本から生まれてくるということが想像しづらかったのかもしれません。それが一番つらかった。とはいえ、何年もかかって、最終的には支持されるようになった。今は海外でも、僕らみたいなヴィジュアルバンドをコピーする人たちが出てきて、それを見ると、どんどん(既成概念が)いろんなふうに壊れて広がっていっているんだなとうれしいです。

**―****―**ロサンゼルスに移住してから、もう20年以上になりますよね。

Y L.A.に住んでいるといっても、基本的にはスタジオと自宅の往復だけなんですが、アメリカの生活にはずいぶん慣れましたね。ちょうど、東京ドームのような大舞台で演奏しはじめたときにアメリカに来たんです。ある意味、日本で頂点にいた瞬間を味わわないままこっちに来てしまったので、当初はまた一から始めるのか、という気持ちもありましたけれど、自分にとっては世界を見ることができたということはいいことだったと思っています。あのまま日本にいながら世界を見ることはできたかもしれませんけれど、よくいうようにアメリカは「メルティング・ポット(人種のるつぼ)」の中にいろんな人種や文化が共存している。いろんな国のカルチャーを知ることができたのは勉強になりました。とにかく来たばかりの頃は勉強しました。

**―****―**具体的にはどんな勉強をしたのでしょう?

Y 音楽って、もともとはそれぞれの国の宗教が入っていますよね。だからバイブルを読み込んだんです。聖書を理解しなければ、歌詞が理解できないと思ったんです。わからないなりに読み込むうちに「こういう意味なのか」と少しずつ理解できるようになった。英語の詞をやるようになったのはそれからです。また最初は英語はまったく話せなかったんですけど、しゃべれるようになるまでなんでもしようと思って、月曜から金曜まで日替わりで、5人の英語の先生をお願いしました。違う先生をお願いしたのは、一人の先生だと、言葉が通じなくても、通じ合ってしまうと思ったからなんです。

**―****―**この何年かの間に、音楽ビジネスは大きく変容してきました。発表の方法もずいぶん多様化されてきたと思うのですが、それについてはどう考えていますか?

Y 例えば僕が好きなクラシック音楽が主流であった200年前には、もちろんCDなんか存在しなかったわけですよね。音楽家にはスポンサーがいて、楽曲を作るようにと依頼を受けて、スポンサーのためにパフォーマンスして、という世界だったと思うんです。現代の著作権ビジネスが浸透し始めたのは1940年代に入ってからのことですから、大きな時代のタームで見てみると、ミュージシャンが普通にCDなどを売って儲かった時代は、たかだか数十年です。だからまた新しい時代が来るんじゃないかと、僕はある意味、わくわくしています。ただ何があっても、音楽は絶対になくならないと思うんですよ。これまで環境に恵まれていたからかもしれませんが、お金よりも芸術を追いたい。今までもいいものを作れば、そこにどこかからお金はついてくるって思ってやってきた。お金を追うと、お金を追うための創作になってしまう。お金なんて、もともと人類が物を交換していた時代に、便利だからと作られた、という程度のものですから、お金に振り回されて生きる人生ほどつまらないものはないんじゃないかって。自分でいうのもなんですが、たまたま成功したからこの生活ができている。でもこんな生活ができなくなったとしても、作るべきものは作っていきたいと思いますね。もちろん自分だって、迷うときもあるし、人生にはいろんなことがある。人間はなんらかの使命を持って生まれてくると思うんです。こういう手術を体験したりすると余計なことを考えたりもしますけど、自分は音楽を作る使命を持って生まれてきたんだという確信だけは、どこかでしているんです。そうであれば、自分が灰になるまで、その使命を追いかける人生を生きるべきだなって思っています。

**―****―**健康のケアには気を使っていらっしゃるということなんですが、精神的にはどんなセルフケアをしていますか?

Y 時間があればピアノを弾いています。「今晩何を食べようかな」とか思いながら弾くときもありますけど(笑)、いいメロディが浮かんだ瞬間は、別の世界に行くというか、ある種、瞑想のような状態になります。あと作曲するときは、譜面だけで書くことが多いんですが、それも僕にとっては瞑想のような効果を持つ作業になっていますね。

**―****―**今後、何かやりたいプロジェクトなどはありますか?

Y シンフォニーを書きたいですね。クラシック音楽をずっとやってきましたけど、今年、カーネギーホールで初めてコンサートをやらせてもらうことができた。実は2014年に、クラシックのツアーをやって、10カ国以上回ったんですけど、そのときカーネギーホールはもっと実績を積んでからと言われました。当時は、自分の知名度もまだ低かったですしね。いつか見てろ、という気持ちになりました。ネガティブな感情ではなくて、ひとつ目標ができたな、と。それがついに実現して、東京フィルハーモニー交響楽団と共演させていただいたんですが、ステージに立ったときの感じがとてもよくて。ベートーヴェンやチャイコフスキーを弾いたんですが、ホールがすごく神聖な場所に感じられたのがよかったんです。そのとき「あ、今度、交響曲を書いて戻ってきたい」と思ったんです。これまで交響曲を書いたロックスターって、いないじゃないですか? 天皇御即位10周年のときには、ピアノ協奏曲を書かせていただいたことはありますけれど、次はカーネギーで交響曲を目指したいですね。

世界各国で大きな話題を呼んだ、X JAPANドキュメンタリー映画『WE ARE X』のDVD&Blu-rayが12/13にリリース決定! YOSHIKI Official Site:www.yoshiki.net
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Photos: Luigi & Iango Interview: Yumiko Sakuma Stylist: Patrick Mackie Hair: Luigi Murenu Makeup: Yumi Lee at Streeters Manicure: Gina Edwards at Kate Ryan Inc. using Maxus Nails Casting: Piergiorgio Del Moro for DM Casting at Exposure NY Special Guest Star: Yoshiki Model: Mica Argañaraz Producer: Paul Preiss at Preiss Creative Styling Assistant: Diana Choi Editor: Saori Masuda

yoshiki
2012年5月号 『VOGUE JAPAN』でローレン・デュコフが撮りおろしたYoshikiの画像をもっとみる。
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